阿蘇山 火口
こうしてみると、火口というのはハワイも、日本も国籍はわからんね。台湾人の
団体とともにロープウエイかケーブルに乗る。ニラ玉、ニンニクのにおいや。
台湾、韓国からのお客が九州、沖縄には多いね。
コンクリートの避難用の構築物がある。隙間があるから、溶岩からの防御にはな
らないじゃないか?と訊いたら、溶岩は出ない。巨大な岩石が飛ばされる。それ
をさけるためだとのこと。活火山である。
阿蘇 草千里
春に野焼きして、夏は溶岩の大地に草千里。牛、馬が草をはむ。草千里は糞千里。
草食動物の糞は巨大だがきれいなものだ。遊牧民は、ラクダののフンを燃料とする。食物連鎖か?草が牛になり、肉を人間が食う。水俣では、閉鎖された漁村で村人皆が、水銀の水で大きくなった魚を食うしかなかった。胎児や年寄りなど弱い人にそれが蓄積する。環境問題の連鎖、ローカルはグローバルに通じる。
昼の原田先生の講演を聞いて夜の宿での飽食に引け目を感じたのは私だけではなかったようだ。
海洋博公園から伊江島
米軍の砲撃で島の形が変わり、自衛隊の演習が続く島。沖縄と言えば泡盛。沖縄が本土に復帰する前、学生寮で郷里からの土産だという代物をなめたが臭かった。今の泡盛はうまい。いい古酒をオンザロックで。大したことはないが、私と沖縄の経済力、味覚双方が変わったか。実はこの原料は南方硬質米、タイ米である。南方と中国歴代王朝との仲介貿易で、平和な繁栄を築いてきた琉球ならではのタイ米の良さへの気づき。内地米が安くはいるようになって、喰えばこんなにうまい米で作ればどんなにうまいか?でも、愚にもつかない味だったそうで。透明なあの海のような味にはならないそうだ。沖縄の苦難の歴史はいつに遡るのか?酔眼で思う。
熊本城
加藤清正築城。外様の細川氏の居城。まっすぐに伸びる見事な石垣と堀が印象的。
堀の一つに備前堀と命名されたもの有り。加藤清正の前の国守、佐々成政の遺族である佐々備前守がこの付近に住んでいたので、この名前がついたとのこと。石垣が黒みがかっている。現存する石垣の規模、高さ、樹木の多さが容易に時代を超えさせる。どこか烏城とよばれる岡山城とにているなと思って、ネットでみたら三層の屋根が熊本城と岡山城だけだと。
勉強会がすむと、急いで行って直ちに500円の入場券を払って中に入ったら、すぐ出て行ってくれのアナウンス。例によって、石垣の描き方が粗雑になってしまった。ただ、周りに人影のない一角は楽しかった
伊是名島伊平屋島
世界遺産 今帰仁城址から伊是名島、伊平屋島
 15世紀 尚巴志による琉球王朝の確立。その前の戦国時代の古城の址の1つ。なきじんと読む。日本の城以前の作り、万里の長城と通じる工法。この高台から、東シナ海のうねりの向こうには、城山三郎の「指揮官たちの特攻」の伊平屋島米軍キャンプ地脇の岩礁。 玉音放送の後、「最後」の特攻隊員として基地を発った中津留達雄大尉。後部座席の上官といかなる時間を過ごしたか?飛行の名手がなぜ自爆したか。それは葛藤の末に違いない?日本の未来を念じて。老作家の痛切な語りが耳に残る。
沖永良部島
辺戸岬から与論、沖永良部島
 沖縄最北端の宿も少ないので観光客の来ない突端。海のきれいさ。ヤンバルクイナが潜む原生林。向こうの島影は旧本土最南端の島だから与論島か。かつて、この海上沖で、核兵器反対平和行進の沖縄側、本土側のエール交換が行われていたのだと同行のOさんが教えてくれた。大きな南方特有の雲。形からシーサー雲という。
昆陽池錦秋
平成14年の秋は景色と言うものに関心を持って以来、最もショッキングな秋だった。夏のじりじりした照り付けのほてりが残っていたその直後、一挙に冬かと言うような気温の急降下で街も山もあざやかな緑と赤と黄色の混在した風景に一変したからだ。街のどのアングルを見ても美しい。市民マラソンのランナーやスポーツマンの皇族が心筋梗塞でお亡くなりになる事件が頻発した。まさに、心筋梗塞を起こしそうな錦秋。地球環境の異変を示すものではあるが鮮やかな色とりどりの景色は地球最後の景色と言うわけでもなかろうとは思いつつ。あれで、病医院にはほとんど使わないけど除細動器設置が進んだらしい。
 
由布岳と金鱗湖
湯が出ることと1500なにがしの山があるという以外に何もない湯布院町という町。きれいな環境を保つことで、それ自体が観光資源となる。まちづくりの知恵者と組織者がいたに違いない。
大きなホテルがない。団体の社員旅行がきて、嵐のようにきて去っていき、残飯とすさんだ感情が残るというタイプではない。
まあ、我々には、似合いともいえないが、文句は言いにくい観光地だ。
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