「アドルフに告ぐ」の神戸教会
 「アドルフに告ぐ」は、手塚治虫晩年の戦時下の旧ソ連、ドイツ、日本の神戸を舞台にした壮大なフィクション。焼け出されて、この教会当たりを逃げる話が出てくるのを覚えていた。昭和8年の建築。戦災も震災もくぐり抜けた。震災のために部分張り替えした煉瓦はよくわかる。
ガジュマル
 家人と今さら、面と向かって話すことはないのだが、聞かねばならない、このごろ、どういうつもりでいるのか、何を思うのか、ただ聞いて、相づちをうつ。ちょっと場所を変えて食事をしながら。窓際のあの模様。おお、それが天井の硝子に対照として映っている。奥まったこの位置からの意外な美しさなのだと気づく。

伊丹シティホテルレストランから
 水軍の築いた城。東軍につくか西軍につくか?
水軍には、水軍の理があったのか?
この山は一面、桜の樹が多い。満開の頃はさぞ華やかであったろう。
葉桜の初々しさと人気のない方が私は好きです。

海清寺
 時は足利応永の頃に無因宗因禅師は京の妙心寺で高徳のきこえ高く第3世をつとめていた。そのころ妙心寺は義満の弾圧で名を竜雲寺と変えられた。禅師は高徳を惜しまれて大徳寺へとの誘いがあったが、辞して西宮の海清寺に隠棲したと。
 西宮市役所がある地名は六湛寺町。ここにはもっと前に巨大な寺があったらしい。市役所向かいに今あるのは、この禅寺。巨大な楠の下の石に寝そべって、息吹を吸う。
鬼怒川温泉 岩吊り橋
 朝飯前の散歩に川の岩場に出た。川と滝はどこも一緒だ。ただ、それを見るこちらの心はいつも同じではない。
鬼怒川温泉 若竹の庄の部屋から
鬼怒川温泉のはずれの旅館の部屋から。露天風呂から帰ってこれを描いていたら、僕の饅頭
までみんなに喰われてしまった。
鬼怒川温泉 大宮弁当
 ここへ電車で来る途中の駅弁、大宮弁当の裏紙がいい和紙でできている。これを取っておいて川を描いた。団体旅行の連中は、それを見て、裏紙に浦上か?と酒の肴にしくさった。宴会後、ところで、あの絵くれない?と言った人にあげた。
鬼怒川温泉
 このホームページは、私がスキャナーした絵から、職員さんに更新してもらっています。こ
の絵も、せっかく掲示してしまったから、こういう駄作も私に違いない。載せておこう。川に
かかる橋の上から、立ちんぼで3分。和紙の上なのですぐ乾いた。
御影公会堂地下食堂から
 「火垂るの墓」の清太と節子も食べたか。私も、夕食をここでいただく。半地下の壁を見たら、レストラン内の植物とカーテン越しの壁に絡まる蔦が見えた。ビールが回ってきたので、カーテンは食後のコーヒーに指を浸して塗った。ビールの色でもよかったんですが、あれは飲んでしまったから。
雌阿寒岳とオンネト
 ニサッタカシリピリカクニネ アイヌ語で明日天気になーれ。幼かった娘と二人で呪文を唱えていたから、きれいに晴れたんだねと納得した。でも、描く紙がない。彼女のナップサックの落書き帳を拝み倒して1枚もらって、色鉛筆も貸してもらって描いたんだ。