与論 寺崎海岸
 私のそばにすり寄ってきて、猫が青い絵の具を溶いた水を嘗め干した。アラビアゴムが原材料だからね。南の島の猫にはわかったか。人なつこいやつで、すり寄ってくる。
 干満の変わり目で、至る所の岩場に、魚やヤドカリが取り残される。猫はそれで、十分暮らせるようだ。
中富良野から十勝岳連峰
 ラベンダー畑とビニールハウスは短い夏のこと。ビニールハウスがマンション群に見えた。長い冬の暮らしは「北の国から」でご存じですね。目線の高い位置にある連峰が気高く美しい。

石橋家 岡田家
伊丹市にある、国の重要文化財、県の文化財。江戸時代に建てられた造り酒屋と雑貨屋の町屋。
晴れた日の昼間。持っていた本の裏に、黄色のラインマーカーで輪郭をとってきた。
須磨赤灯台
 日本最古の鉄製灯台。元は和田岬にあったが移設されて今は、須磨水族館の隣の国民宿舎シーパル須磨の前の庭にある。松の緑と年季の入った赤みがいい組み合わせだ。
仙酔島 鞆の寺から
 足利義昭は京都を追われ、大内の庇護で幕府という形態はこの後、備後の鞆に細々と続いた。江戸時代には福山藩の外港、北前船も寄港する商人の町として賑わった。弁天島や仙酔島の姿が美しい。朝鮮通信使をもてなした宿舎は福禅寺の本堂に隣接する「対潮楼」で、元禄年間(1690年頃)に創建されたもの。その眺めが絶賛され、1711年に訪れた李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛したと言う。お話しの上手な和尚さんの説明を聞きながら。
仙酔島から夕陽
 島の展望台に駆け上がり、夕陽を眺める。島のホテルの夜景がいい部屋を占領して、夜遅くまで談論風発?が続いた。朝鮮通信使の次の宿舎は、備前の牛窓本蓮寺。

足利学校 かかあ天下の八木節
 上州はかかあ天下と言いますね。駐車場脇で観光協会が地元の方々の出演で、歓迎のための、「草津よいとこ」の八木節の歌と踊りをしておられる。蒸し暑い日なのにご苦労さん。櫓の中では、男連中は大きな声の歌を交替で、その前の日向で踊る女連中は、いい腰つきで踊り続けるが、どう見ても65歳以上の方たちばかり。イベントが終わったら、卒倒しているんじゃないかと見る方が心配する。
大谷記念美術館正面
 真夏の大谷記念美術館の正面玄関。日本庭園を背後に植松奎二氏作の黒いアメーバー状の敷物の上に置かれた黄色い球形。液晶テレビのCMの吉永さんもいいけど、これもいい。
 実際は、植え込みは、一本一本がもっときれいに形が整えてあるのですが、私はそんなに細かく描ける人ではありません。
的 矢 湾
 リアス式海岸線の静かな入江、磯部町。志摩半島の中央部の深い入江で、カキの産地として有名。志摩の豊かな里山から流れ込む川があってこそ。海の幸は山の幸。しかし、外海は一転して激しいらしいですね。

東京駅丸の内側
 新幹線の時間待ち。この駅舎は戦前戦後を日本の中心で見てきたはずだ。赤煉瓦の空間。駅前の小さな芝生は立入禁止。タクシーのたまり場の木陰のブロックの上に20分。隣には、ホームレスのおじさんがたばこを吸っている。駅構内のレストランの蝶ネクタイのボーイさんが狭いスペースでたばこを一服してもどって行かれた。私も、時間切れで帰ってきた。色は(も?)いい加減だ。