仙酔島 鞆の寺から
 足利義昭は京都を追われ、大内の庇護で幕府という形態はこの後、備後の鞆に細々と続いた。江戸時代には福山藩の外港、北前船も寄港する商人の町として賑わった。弁天島や仙酔島の姿が美しい。朝鮮通信使をもてなした宿舎は福禅寺の本堂に隣接する「対潮楼」で、元禄年間(1690年頃)に創建されたもの。その眺めが絶賛され、1711年に訪れた李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛したと言う。お話しの上手な和尚さんの説明を聞きながら。
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