夕日のアポ山
 バナナが、外資系資本のプランテーションでつくられる。岩波新書「バナナと日本人」 「エビと日本人」、野村進「アジアの歩き方」、白石隆「海の帝国」などを読んでアジアを旅すれば、日本外交の力点はどこに定められるべきかわかると思うんですが。
ダバオ沖のパールファームリゾートから。
大雁塔 西安
 遣唐使の井真成や「あまのはら ふりさけみれば」の阿倍仲麻呂さんたちが修行した唐の都、長安の現代名。仏教をインドから伝えた玄蔵三蔵法師の巻物の所蔵館。西遊記のモデル。井真成たちは、開聞岳を二度と見ることは出来なかった。
霧のない摩周湖
 たいていは霧がかかって見えないそうだが、私が行くとくっきりお出ましになった。流れ込む川もで出ていく川もないのに水面が一定を保つ。一時は世界一の透明度だとも。しかし、こういう清冽すぎる水では、魚は生きていけないのですね。皮肉なものです。
透明度ゼロ?の赤土の長江やメコン川のように巨大ナマズや雷魚がいるはずもありません。
桂山 夕焼け雲に誘われて
 郷里の里山。こどもの頃はこの山をかずらやまと呼んでいたが、桂山。なるほど、女性の桂のような優美な形だ。今は干拓された沼地が数キロ続く土手の道を小学校へ通った。高校にはこの土手を越えて、片道8キロの自転車通学。鍛えれば強くなるはずと信じていた。暗い朝から晩まで、気合いの空回りで弱かった剣道のために通った日々が蘇る。当時は一本調子のクールファイブの歌を誰もいない夜道で高唱していた。今は標題の歌が浮かぶ。
欅平から
 20代に立山から入り、こちらへ降りてくる山中5泊の山行きについて行ったことがある。獣しか行けぬ山奥の絶景には鮮明な衝撃を受けたが難行苦行であった。トロッコ列車の駅からさらに歩いてしか行けない黒薙温泉という湯治宿に息も絶え絶えにたどり着いた。鯖の塩焼き、山菜、目を貫く凛とした清流、露天風呂、日頃飲めない私がビール大瓶を何本もカラにした。この奥の絶景は今も健在であろうか?
道後温泉本館
 正面の一六タルトの店の側から、立ったままの速写。松山は、子規、漱石にNHK大河ドラマが明治の日本「坂の上の雲」を取り上げるから秋山兄弟と。この狭い地域にこんなに偉人がと言うのでブームになるんですね。漱石はそういう近代化日本を冷めて見ていたんじゃないのですか?そういえば四国の雑煮はあん餅を入れる。失礼、関係ないか?

相国寺 法堂
 同志社大学に隣接する京都を代表する臨済宗のお寺、ベンツが頻繁に出入りする。「物中無尽蔵」ではないのか?大きな飾り気のない建物。法堂の前の巨大な冬枯れの大木とまっすぐに続く石畳。隣の同志社で小難しい話を聞いた夕暮れ、誰も周りにいない。石畳のど真ん中にあぐらをかいて描く。気持ちはいいが、座布団がないと痔に悪い。
同志社 彰栄館
 同志社で学会があった。ベンチで5分だけ鉛筆で型どり。後で記憶で彩色。同志社の赤レンガの建物の最古 明治17年築のものだそうである。 地下鉄今出川駅の上。私は立命館の学生の頃、御所を挟んで隣にあるのに、この中には一度も入ったことがなかった。当時の巨大でけばけばしい立て看板はない。生協食堂の388円の食事が意外に美味しい。そこでの雰囲気。同志社と言えば近寄りがたいお嬢さんとお坊ちゃんというイメージを持っていたが、三宮行きの阪急沿線で出くわす女子学生と違う意外な地味さ。うーん。では、今の感覚からは、昔の私は我ながら野良犬みたいだったのかも知れん。
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