烏城(岡山城)
 熊本城と似る。烏城は外観の黒さからの通称。 私の生家は戦国時代の播磨、備前を支配していた浦上氏の出城の一つ、多分島村弾正という家来の掘城という平城の土塁の数十メートル山側です。隣は島村姓です。浦上氏は家来、宇喜多能家が切れ者すぎて恐れをなし暗殺した。後に辛酸をなめた子の直家に滅ぼされ、その子秀家は秀吉の寵愛を受け、西の大川(現旭川)の流れを変えて掘となす豪勢な城を建てたが、関ヶ原で敗れ、池田氏の城となったという転生を辿る。秀家は、八丈島に遠島、家光の代まで生を得たという。(津本陽「宇喜多秀家」に詳しい。)