コロナ緊急事態宣言直前にやむを得ず、洲本税務署に出かけた。 巨大な自然石に戦前からの税務署名が右から左に書かれてある。全国に二つだけ だと。 往時、洲本は、鉄道・紡績工場への全国からの女工さん流入、農漁業の・酒造の 隆盛で、奥行きの深い商店街があった。戦前は、納税者だけのしかも男性のみが 選挙権を持っていた時代から、豊かな税収を上げていたようだ。山上は三熊山城。
元衆議院議長 原健三郎は中選挙区時代の兵庫二区を連続20回当選した。淡路島 が地盤。同じく、淡路が地盤で自民党の永田亮一と熾烈な一位争いをした。1980 年代初めに、本四架橋構想が出た時、「ハラケン最後のお願い 明石海峡大橋」 をぶち上げ、ほらケンと揶揄されながらも、夫婦で演説。最後には土下座をして 回るという恥も外聞もない利益誘導を地盤の淡路島に媚び抜いた。
阪神間は歩けば海に出る。訪問先の時間待ちに浜側に出たら意外な眺望のよさ。 宅配のピザのお兄さんが、バイクを停めて、海を眺めて一服している。
海浜公園をおじさんが散歩する。人口島には工場がある。入江の中は漁師町。 昔は軒先で捌いて売ってた。ここらは明石蛸、穴子のうまいのが取れていた。そ うそう、釣りが趣味のドクターがここに向かう車に出会ったことがあった。経費 のゴルフは趣味と違うんかと税務署がいう。いや、先生の趣味は釣りやと即答し た。
大雨や気温の乱高下にコロナ第五波。近場の浜で親子連れがゴムボートを浮か べる。小さい子がキャッキャッ。お父さん お母さんがいたら、どこでもいいん だな。
神戸市兵庫区平野の祇園さんといえば、京都の祇園神社より先にあった。なん でかって、清盛の福原遷都 日宋貿易の拠点化構想。雪の御所町の地名もある。 ここは昔、大繁盛、大混雑していた。前からそこに住む方も文字が消えかかった この伊勢屋さんに行ったことはないとのことでまだ行けてない。
戦後 土木の専門家 原口忠次郎市長が「海 山へ行く」の魁。六甲を削って 人口島に移し替え、横浜と競った。 オール与党 玉虫色の宮崎、大震災後の笹山市政から今に至るまで、新奇開発行 政の遺伝子は続く。余った人工島を神戸空港とか世界の富豪の医療ツーリズムに と。震災で潰れた2号館は中抜き再生で令和3年まで生きた。壊される前にガサツ に描いた。