この絵の現物はない 永くお付き合いいただいた方に貰っていただいた。 だが、人の思いはすれ違う。予期せぬ葛藤に陥った。私が20代に夏の尾瀬を歩い て清々しさに感じ入ったときに描いた。仏に至るあの山の彼方で、今は亡きその 方は何を想っているのだろう。
よく隣で昼飯を同席したまさに実直、勤勉一本槍の小さな銀行の支店長さん。仕 事はついぞ一度も頼まなかったが、彼の退職時にどれでも好きな絵を持っていけ と言ったらこれを持っていった。50歳前後の私は、一期一会、気に入った人に貰 われていくがよい、私はいくらでもまた描けると思っていた。違った。あの天気 のあの場所に遭うことはまさに一度きりだったのだと思う。いまさら、気がつい たが、この灯台のシルエットは、澪つくし NHK朝ドラ 沢口靖子のデビュー作 の彼処でした。
コロナ禍の今年は遠くへ行っていない。その上、ひどい捻挫を短期間で両足に経 験した。 お陰で、老いの入り口で、中島みゆきのヘッドライト テールライト 旅はま だ終わらない のフレーズを噛みしめることができた。悠々と風を孕む楠の大木は、地表の姿の 何倍かの根がある。斬られても蘇るのだ。物納や売却時には費用が嵩むのだけど。
桜の咲いたあたりから常緑樹の大木のトンネルをジョギングのお姉さんが駆け抜 けて来た。これも、アベノミクスの破綻を覆い隠す五輪延期が決まると思いつき で週明けから、小学校等休業を左右のプロンプターを首振りで自己陶酔で読み上 げて自粛しないと知らないからねと逃走態勢に入った時期の春。五輪真弓の歌が 聞こえて来た。
1986年旧鉄橋 高さ41メートルから、強風で列車が落ちた事故があった。 これは、改装強化された餘部駅のホームから、速写したもので、下手すぎて、こ れまでは載せてなかった。でもこの場とこの列車の印象は激しく強い。 旧鉄橋の赤い橋桁を渡るときの緊張感。私は、20代の時、出張で、浜坂に向か った。出石あたりを超えて、車外は銀世界に変わり、余部の通過時に見た海との コントラストには、海と言えば穏やかな瀬戸内海を見てきた私には、山陰の黒い 冬の海と雪。ああ、ものすごいところがあるものだと思った。 また、「夢千代日記」のなかで 夢千代が神戸の病院に受診に行ってのかえり、 湯村温泉に向かう山陰線、特急まつかぜか普通車に変わってかの車内での、吉永 小百合扮する夢千代と窓ガラスをぶち割りそうな松田優作との出会いの場面。 松田優作の鬼気迫る記憶喪失の男の風貌、この作品には、他に樹木希林、い しだあゆみ、長門勇、千田みつお、秋吉クミコ、片桐夕子などの名優が暗く寂し い日本海を望む温泉街での肩寄せ合って、出会い、別れる暮らしをよく覚えてい る。
昭和2年生まれのお母さんは、郷里のホームにいる。コロナで面会禁止。職員 さんを通じて届け物を受け渡しする。 「ワシじゃ」と私はいきなり電話する。ありがとう。ありがとう。と先に言う。 いつ逝ってもええんじゃけど、たっちゃん、元気なん?「おお、元気じゃ」と言 うが、そのときの心根まで見透かされる。そうかな?とすぐ見透かされる。 な んでわかるんや。弟夫婦が世話してくれる。いちいち、職員さんに悪いから、二 階の窓を開けて、袋に入れた保険証とお薬手帳をひもでぶら下げて渡す動画を送 ってくれた。 ひもを下げる手つきがよい。私と違って器用だ。全寮制の学徒動員で原価計算 係にいた。自分の姿を想像してすぐ笑い転げる。