下関は徒歩圏内に歴史の痕跡があふれている。 小さな島が武蔵と小次郎の巌流島。小山に赤間神社がある。安徳天皇を祭る。なるほど、平家の「怪談」の趣を漂わせる。みもすそ川公園に大砲がある。幕末長州の夷狄排除の激発による砲撃陣地だ。当時、馬関と呼ばれていたので馬関戦争。
壇ノ浦を門司側から見る。最短800メートルもない海峡の激流に平家の主力は海の藻屑と消えたか。海底トンネルを歩いて渡れる。左右に看板・広告・窓がないから、なんとなく、北朝鮮の収容所もかくあるのかもと不気味だった。
唐戸市場の山側の文化遺産としての建物。唐戸はその名のごとく唐=中国をはじめとする諸外国への「戸」=玄関口に由来しているという。そばの小山の春帆楼前は、李鴻章坂とある。 日本は日清戦争で1895年から1945年まで台湾を支配。それが、下関条約。相手方の李鴻章は、日本には、大きな川がないと聞いたが、あるじゃないかと関門海峡を評したという
対馬暖流があるからか、日本海側にしては明るい青い海に大きな橋が架かる。レクサスのCMでも使われている。
金子みすゞの仙崎は、古式捕鯨の青海島の対岸にある。あの文房具屋で、あのやさしい詩を投稿するだけが社会の窓口だったであろう薄幸の生涯を思う。烏賊の昼食をいただいたが、店に店主と安倍さんの写真があった。うーん。
観光協会によると、「昭和30年に地域の網元であった岡村斉(おかむらひとし)さんの枕元に白狐が現れ、 「これまで漁をしてこられたのは誰のおかげか。」と過去からの関わりを詳細に述べた後、 「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったと。割に新しいのだ。
昔は、よく賑わった漁港のはずが、発電所のためにちょっと移っただけなのに、流れで、さっぱりだそうだ。 旅館のかわいいバイトの方が中越のコシヒカリでございます。うまい。で、越中 越後 越前 そのなかの嶺北のなかの奥越 中越 南越 さらに嶺北・嶺南といろいろ言う。どこが境か、どこが起点かと聞いたら、笑ってごまかしよった。かわいさはいずれ消える。執念が欲しい。
はるか昔。北陸は越の国。地域的には、福井県の敦賀から新潟県、それから山形県の一部まで。その越の国が越前、越中、越後に分かれた。 石川県は中にあるのに越がつかないのはなぜか。以前は越前。越前から分かれて加賀の国ができて、能登の国ができたということらしい。 大和堆まで何にも見えないか。
無双の僧兵 東尋坊が由来だったか。向こうのタンク群は原発かと聞いたら、色をなして、違う 火力発電所だ。ここは原発からもっとも遠くて安全だと言われた。確かに美浜も高浜も敦賀も大飯もずいぶん離れてはいるけど県内の海沿いに4つですね。
小浜線、敦賀に出ないと何もない。 敦賀は明治時代にはロシア、朝鮮との間に定期航路が開設され、日本海側の玄関口。越前ではボルガライスやソースカツ丼がB級グルメ。ボルガライスは加古川のカツ飯とほぼ同じと思う。
解体新書の杉田玄白は、小浜藩医だったんだ。杉田玄白記念病院があるのでわかった。
朝ドラでの「ちりとてちん」。塗り箸職人が出てくる。戦国時代の武将浅井長政とその正室 市との間に生まれた3人の娘、茶々、初、江。浅井三姉妹の初がいた常高院に行った。若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。
ホテルの女性従業員さんが、フィリピン出身の女性だった。日本人の、先憂後楽の厳しさのいいところとフィリピンの自他の区別なくやさしくするところ、まずもって、今を楽しむところの文化の違いの互いの長短を話した
西暦600年から700年にかけて、大化の改新の前後、近畿は畿内。 鯖や若狭カレイ。北前船の昆布は大阪で加工して戻る。小浜湾と若狭湾は外へ出たかどうかの違いのよう。
御食国の一つ 若狭 小浜。越の国から畿内へ海産物を届けた。敦賀、小浜から鯖街道。
かつて、ミンダナオのダバオのホテルの庭に黄・赤・・白のカンナが散き乱れていた。あれはフィリピンではどう言うか?ときくと、「イスパニョーラ・、セニョ-ラ」。なるほど、コルセットでふくらんだスカートと日傘をもった、最初の支配者スペインの貴婦人のように見えたのか。カンナは南米原産を欧州で改良してスペインの大航海の産物と知る。
秋の雨の日。あっ。意外に美しい家だ。今は、無人の家にかつては、どういう生活があったんだろうと想像した。
甲陽園のハイキングの後、桜の園から駆け抜けてくる馬たちのポスターに惹かれて、初めて競馬というものに行った。小雨の中に、走る馬はまるでレーシングカーのように小さかった。立って見ていると、気色ばんだ男たちが、どかんかいと怒鳴る。なんで、レース始まってないやんか。いや、大画面で全国各競馬場の中継を見ながら買った馬券の帰趨に運命を託しているのだった。機械での馬券の買い方も難しい。刑法適用除外の巨大集団カジノだ。
梅雨時の伊丹緑道の散歩道。紫陽花が自生している。いろんな色がある。長く咲くのが紫陽花のいいところ。
家島のざっくり割れた採石岸壁が見える。
屋島は島か。元は少し離れていたが、今では陸続きの住宅地とは知らない人が多い。流れは急だ。ここらの水流を制したものが勝つ。